Raw Sugar Roast | ローシュガーロースト(東京・経堂)小坂田氏が描く、持続可能なコーヒーの未来

PostCoffeeが扱うコーヒーの味わいにひとつとして同じものがないように、コーヒーの味を決めるロースターたちの個性もまた千差万別。さまざまな経緯でコーヒーと出会い、魅了されてきた彼らの背景を覗き見るインタビュー企画。今回お話をうかがったのは、東京・経堂「Raw Sugar Roast」の小坂田 祐哉氏。

都心に近い閑静な住宅街として人々から愛される街「経堂」。お洒落な古着屋や雑貨屋など感度の高いショップも多く、活気あふれる雰囲気が魅力であるこの街に2022年春、満を持してオープンした「Raw Sugar Roast (ローシュガーロースト)」。

RawSugarRoast店内風景(東京 経堂)

一際目をひく異国情緒あふれるシックな外観は、不思議とこの街に溶け込む温もりを感じる佇まいだ。店内に一歩入ると、ライトロースト特有の軽やかな焙煎香とレコードから流れる心地よい音楽が出迎えてくれる。広々とした空間には光が差し込む大きな窓、そしてバリスタカウンター内にはオランダ製の焙煎機 GIESEN W15A が鎮座している。

オランダ製の焙煎機 GIESEN W15A

そんな他のマイクロロースターとは一線を画す、新進気鋭のロースタリーカフェ「Raw Sugar Roast」で共同代表を務めながら、クオリティコントロール兼ヘッドロースターとして全ての品質管理と味作りを担う小坂田氏。スペシャルティコーヒーシーンを代表するバリスタの一人として、常に最先端のコーヒーカルチャーに触れながら業界を牽引してきた彼のバックグラウンドに迫る。

 

音楽と共に過ごした学生時代

「学生の頃はずっとバンドをやっていました。小学5年生のころからギターをやっていて、中学生の時には地元のジャズバーでおじさん達に混ざりながらジャムセッションをしているような子でした(笑)」

両親の影響で、移動中の車の中では常に洋楽がかかり、日常の中に当たり前に音楽の存在があったという家庭で育った小坂田。御多分に洩れず、音楽関係の専門学校に進学し、卒業後も音楽に携わる仕事に就きたいと上京。

「本当はロックスターになりたかった」と冗談混じりに話す彼だが、上京後は自らの夢を追い続ける中、アーティストのライブツアーのマネジメント会社に就職した。

 

1杯のラテアートとの出会い

マネジメント会社を退職後、次のステップを模索する中で彼の頭に思い浮かんだのが、学生時代に過ごした札幌でアルバイトをしていたスペインバルでの記憶。

「ライブツアーの仕事をしていた時は、一生懸命目の前の仕事に取り組んでも結果が返ってくるのが1年後なんです。スペインバルで働いていた時は美味しいものを作ったら、お客さんからその場で『美味しい』と反応をいただける、飲食店だからこそのお客さんとの距離の近さに魅力を感じて飲食の楽しさに気付いた当時の記憶が蘇り飲食店で働きたいなと。」

その後、渋谷のカフェダイニングで働くことが決まり、晴れて飲食の道に足を踏み入れた小坂田だったが、もちろんコーヒーのことは右も左も分からない状態。そんな中でふと足を運んだラテアート世界チャンピオンのお店で飲んだカフェラテは、きめ細かいミルクに綺麗なアートが浮かんでおり、当時コーヒーをまだ知らない小坂田にとっては、衝撃的な体験だったという。

「当時自分が働いていたお店のラテより、そこ (世界チャンピオンのお店) で飲んだラテの方が値段が少し安かったんですよね。『これじゃダメでしょ?』って思って、それからまずはラテアートをやってみようと練習を始めたんですけど、美味しいラテを作るためにはそもそもエスプレッソをちゃんと理解しなくてはいけないなと気付いたんです。」

1杯のラテアートをきっかけに、コーヒーに対する気持ちが加速していったという小坂田は、ひたすらいろんなお店を周っては、自分が納得する本当に美味しいエスプレッソを探し求めた。

そこで出会ったのが、日本のスペシャルティコーヒー業界では言わずと知れた名店「Paul Bassett (ポールバセット)」。カウンターに立つバリスタの姿をみて、小坂田自身の心の奥底に眠っていた、パンク精神が突き動かされたと当時を振り返る。

「お店に通う中で、Paul Bassett のバリスタは、コーヒーとの向き合い方に芯があって、大手に対するアンチだったり、スペシャルティコーヒーというものをこれから本気で伝えていくんだという信念をもっていることに気付き、『めっちゃパンクじゃん!』って思って、ここで働きたいですとその場で直談判しました(笑)」

バリスタとしての第一歩

念願叶ってPaul Bassettに入社することとなった小坂田は、本格的にバリスタとしてのキャリアをスタートさせるがそこで待ち受けていたのは、世界レベルのコーヒーショップの洗礼。「スタートラインに立つのさえ難しかった」と語る。

「まずはバリスタになるための試験をクリアしなくてはならなくて、そのために始業前と就業後の時間にひたすら自主練を繰り返す日々でした。今まで何となくコーヒーをやってきた中で、ひとつの目標に向かって動くことが初めてだった自分にとっては厳しくも充実した時間でした。

バリスタとしてコーヒーを提供できるようになった後も、キヨさん (GLITCH COFFEE & ROASTERS 代表 : 鈴木 清和) から『エスプレッソちょうだい』って突然言われて、そこで美味しくないコーヒーを出したらすぐにポジションを交代させられるんですよ。常にプレッシャーを感じながら働いていました(笑)」

当時の苦い思い出を振り返る彼だが、今となってはその意味が分かると話す。

「それだけちゃんとコーヒーと向き合ってやりなさいよ。というキヨさんなりのメッセージでした。バリスタはボタンを押すだけの仕事じゃないことを改めて考えさせてくれたキヨさんには感謝しています。」

Paul Bassett で過ごした日々の中で、小坂田にとっての大きなターニングポイントとなったのが、厳しくも温かく面倒をみてくれたキヨさんこと、鈴木清和氏との出会いだ。

当時、Paul Bassettで チーフバリスタ兼ヘッドロースターとして働いていた鈴木は 2015年に独立を決意。部下として一緒に働いていた小坂田にも「一緒にやろうよ。」と声が掛かった。

それは今や日本を代表する世界的コーヒーブランドとなった「GLITCH COFFEE & ROASTERS」誕生の瞬間だった。日本のスペシャルティコーヒーシーンも転換期を迎え、さらなる盛り上がりを見せる中、GLITCH COFFEEの小坂田としてさらなる高みを目指していくこととなる。

初めての挫折とキャリアの転換期

GLITCH COFFEE & ROASTERS の創業メンバーとして、次なるステージに進んだ彼。順風満帆なバリスタキャリアを歩んでいるように見えたが現実はそう甘くはなかった。

「GLITCH COFFEE に入ってからの方が大変でした。当時1杯のドリップ 500円とかで出していても『高すぎる』と言われるような時代。自分のバリスタとしてのレベルも、キヨさんには程遠く、最初はついていくのに必死でした。」

当時を “下積み時代” と語るほど、まだまだバリスタとしての経験が足りないと感じていた小坂田は、GLITCH COFFEE に在籍中も真摯にコーヒーと向き合い続けた。

だが入社から2、3年が経過した頃、バリスタという職業に対しての将来の不安を思い浮かべるようになったという。

「カウンターに立ち毎日コーヒーを淹れている中で、どれだけ頑張っても1日に提供できる杯数が決まっていて、金銭的な部分でもこれから30歳、40歳、50歳と年を重ねていく上で、自分に家族が出来たら子供に対して、そして家族に対してきちんと養うことができるのかと考えたときに、厳しいなと思ってしまったんです。バリスタとしても、自分は人よりもコーヒーを淹れる才能がないんじゃないかって思う時期が続いて『辞めよう』と決意しました。」

しかし、常連さんや知り合いに退職の話を伝えていく中で、意外にも自分の思った以上に反対をされたそう。「その頃、他のいろんなお店に行って働くバリスタをみて『自分って自分が思っている以上に経験を積み重ねてるのかも』って。それまで気がつかなかったけど自分の成長に気づけた瞬間でした。」

一度は折れかけた気持ちも周囲の後押しによって徐々に取り戻し、バリスタという仕事を見つめ直すきっかけになったと当時を振り返る。

「バリスタが30歳で終わりの職業って、酷な話じゃないですか。コーヒーに対してこれだけプライド持ってやってるのに、なんでこんなに社会から認めてもらえないんだろう。自分が1杯500円以上の価値のものを作っているはずなのに、なんで500円なんだろう。何で自分の給料これしかないんだろうって思って、 “じゃあ自分が底上げをしよう” と」

それからは、バリスタの地位向上の為、同業者向けのセミナーを積極的に行い、バリスタのレベルの底上げに注力した。それも「スペシャルティコーヒーを広めたい」という思いが根幹にあるからこそ。この頃から小坂田自身の “コーヒー観” に変化が訪れると共に、将来のビジョンも見えてきたという。

 

バリスタの新しい価値

自らの描くバリスタの新しい働き方に挑戦すると共に、スペシャルティコーヒーの発展のためにできることを形にするため、約 5年半勤めた GLITCH COFFEEを退社。以前より親交のあった小田 政志氏と二人で「Swim」という新規プロジェクトを立ち上げた。

RawSugarRoastの共同経営者である小田 政志氏と小坂田 祐哉氏

彼も小坂田と同じくして、バリスタとして豊富な経験を持ちながらも、日本におけるバリスタ職の将来に疑問を抱いていた一人。島根の名店「CAFFE VITA (カフェ ヴィータ)」で4年半バリスタとしての経験を積んだ後、オーストラリアやイギリスで焙煎を学びながら、コーヒー職の新しい在り方を模索していた。

そんな二人がタッグを組んだ「Swim」は敢えて一歩後ろに下がり、コンサルティングや卸売、トレーニングなど、表舞台には立たないが、飲み手を増やしスペシャルティコーヒーのマーケットにより大きなインパクトを与えることができる動きに徹した。

「もちろんお客さんから直接反応を貰えたら嬉しいですが、まずはスペシャルティコーヒーを広げないといけないですし、きちんと消費者に伝えて、飲み手の数を増やすのが自分の役割。そのためには自分が作り手の教育をした上で、美味しいコーヒーを多くの方に届けたかったんです。」

Swimとして、約2年の間実店舗を持たずに活動を続けてきた二人だが、2022年の春に「Raw Sugar Roast」をオープン。ロースタリーカフェとして、消費者とより近い距離でコーヒーを伝えていく舞台が整った。

「お店をオープンしてから2ヶ月くらいの時に大阪のコーヒーフェスに呼んでいただいて、僕らとしては初めて東京の外でコーヒーを淹れたんですけど、思った以上にお客さんの反応がよくてとても嬉しかった、世の中に認めてもらえた感じがしたんです。」

一時期はバリスタとしての将来を見失いかけた小坂田にとっては、改めてバリスタのやりがいを噛み締めた瞬間であった。

サステイナブルな未来を創る

Raw Sugar Roastでは、生豆の選定、焙煎、抽出から一貫して徹底したクオリティ管理を行うが、特に生産者への意識は大切にしている。それは、小坂田がGLITCH COFFEE時代に一人で訪れた中米・グアテマラでの経験があってこそだ。

「ある農園のオーナーさんと話したときに、彼らは自分たちで作ったコーヒーが消費国でどのように飲まれているかはほとんど知らないんですよね。スペシャルティコーヒーの定義には、 “From seed to cup (種子からカップまで) ” という言葉があるけれど、農園の方達にも消費国の現状や現実を知ってもらうことが必要なんじゃないかって思い、一方通行のトレーサビリティではなく “From cup to seed” というような逆のトレーサビリティさえも大事にしないと意味がないと感じました。」

 

Raw Sugar Roastのドリップコーヒーと豆情報カード

実際にRaw Sugar Roastでは、豆情報カードに生産者のSNSアカウントが記載されており、そのアカウントをメンションすることで消費者の声が直接生産者に届くのだ。街のロースタリーカフェとして、消費者に向けて新しい取り組みを提案しながら、作り手と飲み手の距離を縮めるきっかけを生み出している。

「GLITCH COFFEEを辞めるときに『スペシャルティコーヒーの間口をもっと広げたい。』とキヨさんに伝えました。ある意味、GLITCH COFFEEとは違うやり方で、僕らが間口となり飲み手を増やせればいいなと。そこでスペシャルティコーヒーを知った人は、いずれGLITCH COFFEEにも行き着くと思いますしね。」

 

小坂田のスペシャルティコーヒーをより多くの方に楽しんでもらいたいという想いは、Raw Sugar Roast というブランドを通して確実にひとりひとりに届いているだろう。そんな彼がこれからのスペシャルティコーヒーシーンを創っていく上で思い描くビジョンとは。

「とにかく日本のコーヒーの質を向上させたいと思います。もっと言うとコーヒーの概念を覆したい。“コーヒー=苦い” というイメージをぶち壊して、もっと美味しいコーヒーを提供していきたいです。スペシャルティコーヒーの価値ってこのカップ1杯だけに収まる価値じゃない、その価値を僕たちは伝え続けていきたいし、みんなに楽しんでもらいたい。飲み手が増えれば、焙煎量も増えるし、農家さんも儲かるし、売上が上がればバリスタの給料も上がる。そうやっていい循環をつくっていきたいです。」


今日に至るまで、10年以上にわたり日本のスペシャルティコーヒーを牽引してきた小坂田は、これからもバリスタという仕事の新しいカタチを創り続ける。すべては持続可能なコーヒーのより良い未来のために。

 

【プロフィール】

小坂田 祐哉 / KOSAKADA YUYA
Raw Sugar Roast

RawSugarRoast 小坂田 祐哉氏

スペシャルティコーヒーにおけるバリスタの登竜門ともいえる「Paul Bassett」でコーヒーのキャリアをスタート。2015年からGLITCH COFFEE & ROASTERSの創業メンバーとして、日本のスペシャルティコーヒーシーンを代表するバリスタとして活躍。2022年春、小田 政志氏と共に東京 世田谷にロースタリーカフェ「Raw Sugar Roast」をオープン。スペシャルティコーヒーの発展とバリスタの地位向上のため、新しいアプローチで次世代のコーヒーシーンを創り上げる。

【スタッフクレジット】
INTERVIEW&TEXT/RYOTA MIYOSHI