コーヒーの世界に欠かせない存在のひとつがロースター。豆の味もさることながら、ロースターも個性豊かな方々ばかり。PostCoffeeでは、奥深いコーヒーの世界を楽しんでもらうべく、国内外の様々なロースターパートナーから取り寄せたコーヒーを販売しています。この企画では、ロースターパートナーの皆さんにインタビューを実施。今回はNAGASAWA COFFEE(ナガサワコーヒー)の長澤 一浩氏にお話を伺いました。

スノーボードが生んだコーヒーとの出会い
「若い頃は、スノーボードが生活の中心でした。出身が盛岡ということもあり車で1時間も走ればいくらでもスキー場があるので昔から身近な存在だったんですよね。20代の頃は、まだまだ世の中を舐めていたころだったのでスノーボードで食っていけるんじゃないかなって思っていた時期もありましたね(笑)」
長澤がスノーボードを始めたのは20歳のとき、それから30歳を過ぎる頃まではスノーボードに打ち込む日々が続いた。高校を卒業したのち就職し、大好きなスノーボードを続けていくためにも様々な仕事を経験したという。その中で偶然、コーヒーの卸関係の仕事に就くことになった長澤はそこで初めてコーヒーに携わる。
「コーヒー関係の仕事に就いたものの、当時コーヒーは全然好きじゃなかったんですよね。でも雪山に滑りにいく時になんとなくコーヒーを持っていったりしていて、そこで飲むコーヒーがまた一段と美味しくて、だんだんと好きになっていきました。」
スノーボードに明け暮れる日々の中で、雪山で飲む一杯のコーヒーが徐々に長澤の心を動かしていった。この時の経験がいまでも彼にとっての“コーヒー”の原点となっている。
「なんだろうなぁ。真っ白になれるというか、コーヒーの味だけじゃない楽しみができるんです。変な話スペシャルティコーヒーではなくても山で飲むとそれはそれで美味しいんです、もちろん味は大切だけどロケーションだったり、環境だったり、一緒に飲んでいる人だったりで全然味の感じ方も変わる。コーヒーの不思議なところですよね。」
自分の納得がいくコーヒーを提供したい
コーヒーに対する情熱は年を重ねるごとに増していき、自らの“美味しい”と思えるコーヒーを求め、抽出、焙煎など試行錯誤を繰り返した。
「初めは右も左も分からないまま、手網で焙煎をやってみました。しかし、トライアンドエラーを繰り返しながらやっていく中で手網での焙煎は不安定で最終的にまぐれの一回にしかならないことに気が付いたんです。」
再現性のない手網焙煎の難しさを知った長澤は当時、盛岡に美味しいスペシャルティコーヒーが飲める場所がなかったこともあり、焙煎機を購入し自らの手でコーヒー屋を立ち上げることを決意する。
「2004年頃、スペシャルティコーヒーという言葉が全く世の中に浸透していないときにフジローヤルの3kg焙煎機を購入し、自宅の庭にプレハブを建てて設置しました。仕事が終わったら夜な夜な焙煎機を動かし、ああでもないこうでもないと色々な焙煎を試していました。自分の性格上、あんまり人に教えられたりとかが好きじゃなく『自分の力でやりたい』という思いが常にあったので焙煎は独学でした。」
お店を出す為の資金を貯めながら、自身の納得するクオリティに到達するまでに費やした準備期間はなんと約5年。2009年にはオンラインストアを作ったり、イベント出店をしたりと実店舗がない中でもコーヒー屋としての活動を徐々に増やし、オープンに向け着実に進んでいった。そんな彼が屋号として選んだのは自らの名を冠した“NAGASAWA COFFEE”。
「直球じゃないですか。自分の納得がいく、自分が自分でやっているコーヒー屋なのでこの名前をつけました。」
震災でコーヒーのほんとうの意味を知った
2010年から実店舗オープンに向け本格的に動き始めた長澤。物件も融資の話も決まり、翌年の開業に向けてすべてが順調に進んでいたかと思われた矢先、東日本大震災が起こる。着工が始まる数日前の出来事だった。
「震災が起きて、何もできなくなりました。建設資材も無くなってしまい、融資も減額されたりしてしまったので、全て一度白紙に戻したんです。」
長澤は今後の身の振り方を考える中で震災から1ヶ月が経ったころ、避難所でコーヒーを提供するボランティアをはじめた。
「その頃、自分は浅煎りのコーヒーが好きだったので、浅煎りに特化したお店をやろうと思っていたんです。でも避難所を周るなかで、色んな人の好みがあって、色んな人が心から喜んでくれて、改めてコーヒーの本当の意味を感じたんです。そういう姿をみると浅煎りだからいいとか、スペシャルティだからいいとか、そこをもっと飛び越える『美味しい』が大切なんだと感じました。この経験が僕の中でのターニングポイントで、今のお店のコンセプトができたきっかけのひとつでもあります。」
焙煎への変わらぬ情熱
その後、2011年の秋からオープンに向け再び動き出した長澤は、幅広く色んな人の要望に応えられるようなお店にしたいという思いで翌年、実店舗となる「NAGASAWA COFFEE」をオープンした。長澤自身の、そしてお店の根幹でもある「焙煎」について伺った。
「焙煎歴は15年とかになるんですけど未だに飽きないですね(笑)仮に15年やってたからといって、じゃあ全て把握をしているかっていったらそうではない訳で、15年経ったいまでも色んな事を試しているんで、その点では最初焙煎を始めたころと今も変わらないです。」
今も変わらぬ、焙煎への探究心。だが、長きに渡る焙煎経験の中で変化していった部分もあるという。
「最初のころは自分が味を作りだしている意識があったんです。自分の焙煎が上手くなればもっと美味しくなるだろうと思っていたけど、今は逆にもっとシンプルで、この豆の持っている風味をちゃんと引き出してあげれているか、という部分をより考えるようになりました。」
そんな長澤のコーヒーは「甘みをしっかり感じられるかどうか」というポイントに一番重きを置いている。幅広いお客さんに楽しんでもらえるように、浅煎りといっても攻めた浅煎りではなくて、そのレンジの中で一番甘く感じるポイントを探ってプロファイルを組んでいる。
この場所でやることの意味
「正直、震災で全ての計画が白紙に戻った時に、岩手でやるより外に出た方がいいんじゃないかとか色々考えました。でもやっぱり東北が弱っていた時期で、ある意味自分もゼロからのスタートですし、岩手もこっから復興をしていくというところで、僕もここから一緒に始めようかなと決意しました。」
未曾有の出来事が起きて一度は壁にぶつかった長澤だが、自分の生まれ育ったこの盛岡の地でコーヒー屋をやることを選んだ。

岩手、そして東北のコーヒーシーンを牽引する「NAGASAWA COFFEE」は地方のロースターとしてどんな役割を担っているのだろうか。
「広い守備範囲をもってやることが重要になってくると思います。分母が少ない訳で、たくさんの人に寄り添えるっていうのが大事です。地域に根ざしてずっとやってきましたが、10年経った今では県外、海外からも足を運んでくださる方も増えました。」
「コーヒー先進都市と言われている街ってどこに行ってもコーヒー以外のものも優れているんですよね。音楽にしても芸術にしても、生活の豊かさや文化の成熟度を感じます。なので盛岡でも質の良いコーヒーを当たり前に楽しむ日常がある街としてみんなが豊かに物事を楽しめるようになっていればいいなと思います。」
コーヒーを通じて人々の生活に彩りを与え、何気ない毎日に美味しいコーヒーがあればいい。長澤自身も、毎朝フレンチプレスで1リットルのコーヒーを淹れるのがいつものルーティーンだそうだ。「コーヒーライフをより豊かに」というコンセプトを掲げ、盛岡という地から日本、そして世界へこれからもコーヒーの文化を伝え続ける。
【プロフィール】
長澤 一浩 /KAZUHIRO NAGASAWA
NAGASAWA COFFEE

プロのスノーボーダーを目指し日々奮闘する中、コーヒーの魅力に気付く。2004年から焙煎を独学で始め、2012年に地元盛岡に「NAGASAWA COFFEE」をオープン。多くの方々の嗜好に応えられるよう浅煎りから深煎りまで幅広くラインナップし、人々の生活に寄り添う質の高いコーヒーを提案する。
【スタッフクレジット】
INTERVIEW&TEXT/RYOTA MIYOSHI