GluckCoffeeSpot|グラックコーヒースポット(熊本県・熊本)三木氏が描く熊本の未来

コーヒーの世界に欠かせない存在のひとつがロースター。豆の味もさることながら、ロースターも個性豊かな方々ばかり。PostCoffeeでは、奥深いコーヒーの世界を楽しんでもらうべく、国内外の様々なロースターパートナーから取り寄せたコーヒーを販売しています。今回はGluckCoffeeSpotの三木 貴文氏にお話を伺った。

GluckCoffeeSpot(グラックコーヒースポット)の店舗

熊本市の中心街にある賑やかなアーケードから一本路地を入ると、まるで別世界のように落ち着いた空気が漂うエリアへと足を踏み入れる。昔ながらの建物が数多く残り、その古い梁や柱を活かしたショップが点在するのだが、その中でも思わず足を止めてしまうのが、築70年の建物をリノベーションして生まれ変わった「GluckCoffeeSpot(以下、GluckCoffee)」。石畳の小道を進むと現れる重厚感あるドアが目印で、外観からすでに“ここだけ別次元”のような雰囲気を醸し出している。

ノスタルジックさを残しつつもモダンに生まれ変わった店内には、開放的なカウンターとゆったりくつろげるテーブル席が配置され、風通しの良い時間が流れる。アーケードからすぐとは思えないほど静かで落ち着いており、一歩足を踏み入れた瞬間に“ここでなら、ゆっくりコーヒーと向き合えそう”と思わせる不思議な空気感がある。コンクリートとウッド、そして少しレトロなアートが合わさった内装はどこか異国情緒も漂わせ、自然と視線を惹きつけられるのだ。

店内を奥へ進むと、テイクアウトを待つ人々やカウンター越しに楽しげに会話を交わすスタッフの笑顔が見えてくる。そこに独特の居心地の良さを感じるのは、店が積み重ねてきた時間と、訪れる人々の思い出が詰まっているからなのかもしれない。GluckCoffeeは2017年にここ熊本市の中心部で1号店をオープンして以降、わずか5年間で4店舗まで店舗数を拡大してきた。多くの人に愛される理由は、歴史ある建物が持つぬくもりだけではなく、そこに集う人々の温かさにあるのだろう。

そんなGluckCoffeeを率いるのは、穏やかな笑顔が印象的な店主・三木 貴文氏。まるでこのお店の雰囲気を体現しているかのように、柔らかな人当たりとコーヒーに対する真っ直ぐな姿勢で多くのファンを魅了してきた人物だ。熊本のコーヒー業界を語る上で欠かせないキーパーソンとして県内外のコーヒー好きから支持を集め、さらには若いバリスタたちからも頼られる存在となっている。彼が紡いできたストーリーと、それを形作るGluckCoffeeの温かい風景に触れることで、熊本のコーヒーカルチャーの“今”と“これから”が垣間見えるのかもしれない。

実はこのGluckCoffee、初めから順風満帆だったわけではない。街中で目立つように店を構えながら、バラエティ豊かな焙煎度合いを用意し、新しいコーヒーカルチャーを街に浸透させる――この壮大な試みの根底には、三木氏の原体験や数々の挫折が詰まっている。本記事では、そんな彼の歩みやGluckCoffeeが担う役割、そしてこれからのコーヒーシーンをどう切り開いていくのかを紐解いていこう。

カフェと三木 貴文氏:別府の湯けむりから始まるコーヒーへの道

三木氏が生まれ育ったのは、大分県別府市。言わずと知れた温泉地として全国的に有名な土地だ。幼い頃から湯上がりにコーヒー牛乳を飲むのが日課だったという彼は、「僕のコーヒーのルーツは“コーヒー牛乳”」だと冗談混じりに語るが、その頃の小さな習慣が、のちに自分の人生を変える大きなトリガーになるとは想像もしていなかったという。

やがて大学進学を機に熊本へ移り住んだ三木氏は、大学生活にどこか物足りなさを覚え、アルバイト先を探し始める。そこで出会ったのがスターバックス。多くの学生がアルバイトを始めるように、求人情報誌にあの緑のロゴマークを見つけ「お洒落でモテそうだから」という軽い動機から応募したそうだ。この小さな“きっかけ”が、彼をコーヒーの世界へと深く誘っていく。

もともと人と話すのが得意ではなかったという三木氏。しかしカウンター越しにお客様とコミュニケーションを重ねていくうちに、接客の楽しさに気づき、さらにカフェ独特のカルチャーに魅了されていった。「アルコールと違って素のままでいられる雰囲気が心地良くて、そのラフな感じが自分に合っていた」と彼は振り返る。当時はまだ自分が何者で、何が本当に好きなのかを模索する時期だったというが、“コーヒー”を通して人と関わる時間は初めての高揚感を与えてくれた。

 そんな彼がコーヒーにのめり込む中で衝撃を受けたのが、2013年に熊本市内にオープンした「AND COFFEE ROASTERS」だった。開店してすぐに足を運んだ三木氏は、そこで浅煎りのシングルオリジン、特に「エチオピア ナチュラル」の存在に驚愕することになる。今まで飲んできた深煎りのコーヒーとはまるで別次元の酸味と香り。ベリーを想わせる鮮やかなフレーバーは三木に大きなカルチャーショックを与え、彼のコーヒー観を根底から変えてしまう衝撃的な一杯となった。

この時期、大学卒業を目前にしても就職活動をする気はまったく起きず、「とにかくコーヒーを突き詰めたい」という熱が徐々に大きくなっていたという三木氏。さらにコーヒー特集が組まれた『雑誌 BRUTUS』を手に、東京のコーヒーショップを巡り歩く旅に出たことも大きな転機だった。「1日10杯以上のコーヒーを飲みながら回るなんて、今考えるとよくやったなと思いますが、新しいカルチャーがそこで動いているのを肌で感じるのが楽しかったんですよね」と笑う。味の違いを理解する段階にはまだ至らないまでも、“コーヒーを通して何かが大きく変わっている”というムーブメントの真ん中に身を置くことで、自分の未来までもがワクワク広がっていく感覚を覚えたのだ。

 

衝撃と挫折──浅煎りとの出会い、そして「808 COFFEE」の試行錯誤

スターバックスでのアルバイトを続けながら、浅煎りコーヒーやシングルオリジンという新しい世界にどっぷりとのめり込んでいく三木だったが、彼の行動力は止まらない。友人と共に焙煎機を購入し、マンションの808号室を借りて「808 COFFEE」というコーヒーショップを立ち上げたのだ。大学卒業後、一般企業に就職する仲間も多いなか、「自分はコーヒーで飯を食っていこう」という強い意思が彼の一歩を後押しした。

1kg釜の焙煎機で豆を焼き、自分たちでコーヒーを抽出し、直接お客様に提供する。正真正銘“ゼロからの挑戦”は想像以上に大変だったが、同時に大きな喜びでもあったという。「自分たちの手で豆を焙煎し、一杯一杯心を込めて抽出したコーヒーを、お客様が『おいしい』と言ってくれる。その瞬間は何ものにも代えがたい幸福でした」と三木氏は当時を振り返る。

しかし、意欲的に始めた「808 COFFEE」も、立ち退きなどの事情によって約半年で移転を余儀なくされる。移動販売へと形を変えて営業を続けたものの、2人の生活を支えるほどの売り上げを確保するのは難しく、最終的に事業は友人に引き継ぐ形となった。「やっぱりコーヒーで食べていくには、もっと専門的な知識や技術が必要だし、マーケティングや経営に対する視点も欠かせない。初めて本格的な挫折を味わいましたが、あの時行動したからこそ得られた気づきも多かったんです」と語る。

人生で初めて“本気の挑戦”をし、初めて壁にぶつかった三木氏。それでも彼のコーヒーへの情熱は消えなかった。むしろ挫折を糧に「まだ自分には学ばなくてはいけないことが山ほどある」と痛感し、さらなる成長を求めるようになる。そして決意したのが、東京での修行だ。コーヒーショップが次々と誕生し、Tokyo Coffee Festivalをはじめとするイベントが盛り上がりを見せる首都圏の熱気の中で、自分をもう一段階高めたいと考えたのだろう。

こうして三木氏は持てるだけの荷物と情熱を携え、上京を決断する。そこではカフェの立ち上げに携わるチャンスを得て、バリスタとしての技術を磨きながら、経営の最前線を体感するという貴重な経験を積むことができた。「東京での生活は、全財産をコーヒーに注ぎ込んだようなものでしたね。でも、若いバリスタたちが同じ目線で切磋琢磨している姿に出会えたのは本当に刺激的でした」と語る。一方で、東京へ出る前に感じていた“これを熊本に持ち帰ることでコーヒーシーンを盛り上げられるのでは”という思いも募るばかり。そこで生まれた新たな仲間や熱気を、どうにか熊本に還元したいという願いが徐々に明確になっていった。

東京がくれた刺激と熊本への帰郷──「Onthebooks」で学んだこと

東京での経験を重ねた三木氏だったが、勤めていたカフェの経営方針の転換を機に、思い切って熊本へ戻る決断をする。「東京に残り続ける選択肢もあったけど、首都圏で吸収した刺激やノウハウ、そしてスペシャルティコーヒーの可能性を地方に持ち帰るほうが面白いのではと考えました」と言う。人がひしめき合い、毎週のように新しい店やイベントが生まれる東京と比べると、地方にはまだ“伸びしろ”がたくさんある。そこに自分の働きかけが加われば、想像を超える未来がやって来るかもしれない――そんな希望を胸に、三木氏は再び熊本の地を踏んだ。

地元に戻った三木氏が次に身を置いたのは、雑貨店「Onthebooks(オンザブックス)」のコーヒースタンド。コーヒー専門店ではなく、あえて異なるジャンルのショップに併設された場所でバリスタを務めることで、幅広い角度からビジネスの基礎を学べると感じたからだ。そこでの経験は、彼にとって“コーヒーを職業として続けるために必要なリアル”を突きつけるものでもあった。「この一杯でどうやって収益を上げていくか。プロならば利益構造を考えるのは当たり前だよ」と、オーナーからは時には厳しい言葉も投げかけられたという。

しかし、その言葉があったからこそ、コーヒーだけが好きという気持ちだけでは店は経営できないという現実に向き合う覚悟が芽生えた。「こんなにこだわって淹れているのに、どうして十分な売り上げにならないのか?」「お客さんが本当に求めているコーヒー体験ってなんだろう?」といった問いかけが増え、それを深く考えることで三木自身も“バリスタ”という立場を越え、いずれは自分で店を回していくための視点を身につけられたのだ。

同時に、地元・熊本でスペシャルティコーヒーを広めていくには、個人の力だけでは限界があるとも感じ始めていた。「地方で新しいカルチャーを根付かせるには、まず働く場所を増やさないといけない。そのためには個店が生まれるだけでなく、ある程度の規模で店舗を展開し、雇用を生み出す必要がある」と考えるようになる。そんな時に舞い込んできたのが、現在三木が手がける「GluckCoffee」の立ち上げプロジェクトだった。同じチームが経営するクラフトビールショップを手伝った縁もあって、話はトントン拍子で進み、三木氏は企業の一事業としてロースタリーカフェをスタートさせることになる。「規模感を持って街にコーヒーカルチャーを広げる」というビジョンは、こうして具体的な形になったのだ。

 

「GluckCoffeeSpot」が描く未来──雇用創出から生まれるサステナブルなコーヒーシーン

2017年、熊本市の中心部に誕生した「GluckCoffeeSpot」は、スペシャルティコーヒーをより多くの人に知ってもらうことを大きなコンセプトに掲げるロースタリーカフェだ。街の真ん中という好立地に店を構えるのも、多様な層が行き交う場所でこそコーヒーの新しい世界に出会ってもらいたい、という狙いがある。「東京で見てきたコーヒーシーンは、バリスタ一人ひとりが“スペシャルティコーヒーを広げたい”という熱を持っていました。消費量を増やして、やがて自分たちが産地に行って豆を買い付けられるようになる──そんな大きな動きを地方からでも起こせるはずだと信じています」と三木氏は語る。

抽出をする三木 貴文氏

実際、GluckCoffeeは当初こそ浅煎りのみの展開だったが、すぐに深煎りもメニューに取り入れ、お客様が自分の好みを選びやすいスタイルに変更した。「深煎りを目当てに来てくれた方が、少しずつ浅煎りにも挑戦してくれることが増えた。選択肢の幅を持たせることで“コーヒーを楽しむ”というハードルを下げたいんです」と三木氏は言う。そこには、コーヒーを通して新しい体験を届けたいという純粋な想いと同時に、ビジネスとしても多くの人に受け入れてもらう必要があるという現実的な戦略が混在している。だからこそ、街中で複数店舗を展開し、雇用を生み出しながらスケールを拡大していくのだ。

GluckCoffeeが担う使命として、もう一つ大きなテーマが“雇用の創出”だと三木氏は強調する。「熊本のコーヒーシーンを盛り上げるには、まず働く人を増やしていくこと。そこで経験を積んだ人たちが独立したり、また新しいコーヒーショップが生まれたりすれば、街全体でコーヒーカルチャーが循環していくはずなんです」。この考え方は生産者にも連動していく。つまり、消費量が増えれば、豆の買い付け量も増え、生産地への還元率も高まるというわけだ。スペシャルティコーヒーの概念を街の日常に広く根づかせることこそ、三木氏が目指す持続可能なサイクルの重要な一端なのである。

そして彼は近い将来、産地への直接買い付けにも挑戦したいと言う。「豆のストーリーを自分たちの言葉で伝えるためにも、生産者と直に会い、共感や信頼関係を築きたい。そのためにはもっと規模を大きくして消費量を増やさなければいけません。そこがゴールではなく、新しいステップの始まりだと思っています」。これまでの歩みを見ると、三木氏は一見遠回りにも思えるチャレンジを一つずつ積み重ねながら着実に成果を上げてきた。東京で吸収した情熱も、808 COFFEEやOnthebooksで学んだ経営のリアルも、今のGluckCoffeeを形作る重要なピースとなっている。

今後は「もっと気軽に利用できる店舗を郊外にも増やしていきたい」と彼は話す。街の中心部でこそ生まれる交流は大切だが、“わざわざ行く”のではなく、“つい寄りたくなる”という身近さも同時に実現することが、コーヒーを日常に根づかせるカギだと感じているからだ。「極端な話、パジャマのままでも買いに行けちゃうような距離感でコーヒーを提供したいんです。オシャレな世界観だけがコーヒーの魅力ではなく、“近所にこんなコーヒーがあったんだ!”と気づいてもらうことこそ、一番の喜びになるんじゃないかなと思います」。

築き上げてきたチームは活気に満ち、若いスタッフたちも意欲的にコーヒーの世界に飛び込んでいる。カップの奥にあるストーリーを伝えながら、産地と熊本、そして街を行き交う人々を繋いでいくGluckCoffeeの存在は、まさにローカルから世界を変えようとする力強い拠点と言えるだろう。これまでの道のりを思えば、三木氏とGluckCoffeeが今後見据える未来のほうが、むしろ自然な成り行きなのかもしれない。熊本の裏通りから、彼らは確実に新しいコーヒーカルチャーを創り出している。そして、その物語はまだ序章に過ぎないのだ。

 

【プロフィール】

三木 貴文 / TAKAFUMI MIKI
GluckCoffeeSpot

GluckCoffeeSpot(グラックコーヒースポット)の三木 貴文氏

大学時代にスターバックスでのアルバイトを始めたことをきっかけに、コーヒーの魅力に目覚める。卒業後は友人とともにマンションの一室を「808 COFFEE」として開業したが、移転などの事情で別々の道へ。より深く学ぶために上京し、カフェの立ち上げやバリスタ業に携わった後、熊本へUターン。複数店舗展開を視野に入れた企業の一事業として「GluckCoffeeSpot」の立ち上げから運営を担う。スペシャルティコーヒーを広め、地域の雇用を生み出すことで熊本のコーヒーシーンを活性化させるキーパーソンとして活躍中。

【スタッフクレジット】
INTERVIEW&TEXT/RYOTA MIYOSHI