aoma coffee|アオマコーヒー(大阪府・大阪)京都の喫茶文化が原点ー青野氏が語る焙煎と店づくり

PostCoffeeがお届けするコーヒーにさまざまな個性があるように、コーヒーの味わいを決めるロースターたちの人生もそれぞれ。全国で活躍中のロースターたちへのインタビューで紡ぐ本企画では、コーヒーとの出会いやこれまでの歩み、さらには今後のコーヒーとの向き合い方についてお話をうかがいます。今回インタビューにご協力いただいたのは、大阪・本町にある「aoma coffee」の代表でロースターの青野啓資さん。ショップをオープンされるまでの軌跡やロースターとしての姿勢など、いろいろなお話をさせていただきました。

aoma coffee (アオマコーヒー)のロゴ

「aoma coffee」は多くのコーヒーファンが全国から足を運ぶ人気店であり、そのロースターとして多忙な毎日を過ごす青野氏。焙煎士としてのキャリアも10年以上を経て、まさに脂の乗り切ったコーヒーマンだが、そのキャリアは決して順風満帆だった訳ではなかった様子。学生の頃から京都・大阪で過ごしてきたという青野氏に、まずは自身の青春時代についてうかがった。

深煎りコーヒーとタバコの煙が原点。
京都の喫茶店文化を堪能した学生時代

「学生時代は芸術系の大学で建築を専攻していましたが、思い返すと大学生生活の4年間はほとんど勉強をしてませんね。アルバイトと音楽に明け暮れていた、よくいる道を外れたダメな大学生でした。オラオラしていない、ゆるい感じのバンドマンで」

京都・大阪で過ごしていた大学時代。そのときはまだコーヒーに対して特別な感情を抱いていたわけではなく、当時日本に上陸したばかりのスタバのコーヒーをトレンドに敏感な友人たちが飲むのを横目に見ていたと、青野氏は当時を振り返る。

「自分もひと口もらったけど、そのときは美味しさがわからなかった。甘いカフェオレの方がいいと思っていたし、嗜み方が分からなかったんですよね。当時、ブラックコーヒーはただただ濃くて苦い飲み物という認識で、どちらかというとコーヒーの世界には格好から入ったくちです」

京都は深煎りコーヒーを主軸とした、言わずと知れた喫茶文化の街。当時はタバコを吸っていたこともあり、怖そうなマスターがやっている薄暗い喫茶店でタバコとコーヒーを嗜むのがかっこいいと思っていたそう。

「格好からでしたけど、それが自分にとってのコーヒーの原点なのかも。京都の喫茶店文化で深煎りコーヒーの文化にハマったのにはじまり、スペシャルティコーヒーの魅力を知ったのも京都でのこと。分岐点となったのは京都市内にある『WEEKENDERS COFFEE』との出会いでした」

「WEEKENDERS COFFEE」と、当時「小川珈琲」が展開していたスペシャルティコーヒーなどを扱う特別なお店(現在は閉店)。なかでもWEEKENDERS COFFEEはカフェとして頻繁に店舗を訪れており、ふと「あ、ここの店のコーヒー美味しいな」と気づいたことがあったそう。当時はしっかりしたエスプレッソなども提供しており、その味に感動したのを覚えていると話す青野氏だが、彼がコーヒーの世界に飛び込むのは、まだまだ先の話。

「大学卒業後は2〜3年ほどアルバイトをしながらプラプラしていました。人生でいちばんダメだった時代ですね。アルバイトも先輩がしている仕事を適当に手伝ってみたりして、本当に何も考えずに過ごしていたんですが、25歳くらいになってから『さすがにこのままじゃヤバいかも』と、就職を意識しはじめました」

「建築の世界に行く気はなかったけれど、芸術系の大学を出たんだし何か通ずるジャンルで働きたいなと漠然と思っていた」と話す青野さん。そこで出会ったのが「染め物」の世界。募集をみつけてすぐに応募し、働くことに。現場は職人と呼べるようなスタイリッシュな仕事ではなく、基本は体力仕事。青野氏は「スポーツをしているような感覚で、とても健康的な毎日を送っていました」と、当時を懐かしむ。

「地味といえば地味だけど、自分の性格に合っている仕事で楽しかった。常に同じ強弱で染め抜いていく作業は、熟練するほど安定してできるようになるんですね。ある意味でいまの焙煎士の仕事と似ているかも」

一念発起し染め職人からコーヒーの世界へ。
はじめて気づいたコーヒーのおもしろさ

20代の頃から過ごしてきた京都。喫茶店の街であることは前述の通りだが、染め物の仕事をはじめた20代中盤に差し掛かると、京都でも“カフェブーム”という言葉を耳にするようになったと青野さん。それと同時に、ふと「将来こんなお店を自分でできたら楽しそうだな」という思いが芽生えるように。コーヒーに詳しいわけでもなく、こだわりがあるわけでもなかったが、ただ漠然と自分の店を持つことにちょっとした憧れのようなものを抱くようになったという。染め職人として現場で5年ほど働き30歳になったある日、青野さんは思い切って飲食の道へと飛び込むことを決意する。

「飲食の世界に入ってからはとにかく勉強、勉強の日々。初めて触れるエスプレッソマシンと向き合い四苦八苦しながらも、はじめて『コーヒーっておもしろい』と思ったのもこのときでした」

大手飲食チェーンの現場で3年ほど経験を積み、接客のノウハウやエスプレッソマシンの使い方も一通り会得した青野氏。飲食業の楽しみを知ると同時に、売り上げだけを求められる風潮に対する不満が次第に肥大化。「その会社で働いていた期間はめちゃくちゃいやだったけど、勉強にはなった」とも。エスプレッソのみならずコーヒーへの興味関心が強まっていったと話す青野氏のモチベーションをさらに加速させるきっかけとなったのが、2010年に発売された雑誌『カーサブルータス』のコーヒー特集だ。

「33歳になった自分は、そのコーヒー特集と出会って目線が変わりました。西海岸ではこんなヒゲを生やした人がこんなふうにコーヒーを淹れているのか! と。知らなかったコーヒーライフというか、コーヒーの自由な感じを知ったというか。言葉が見つからなくて『なんじゃこの世界は!』と思いましたね。海の向こうのコーヒーって、めちゃめちゃかっこいいんだなと面食らいました。そこからですね。本気でコーヒーを仕事にしようって決めたのは」

コーヒーを本格的な生業にするからには、焙煎の技術も会得せねばと考えた青野氏。当時勤めていた会社にも相談をしつつも、自らネットで調べていたところ「エルマーズグリーン」のブログへと辿り着くことに。

「もともと好きで通っていたお店でもあるんですが、いつもチェックしていたお店のブログで『焙煎したい人募集』という内容を目にして、すぐに応募しました。いま考えると恐ろしいですけどね、未経験なのに勢いだけで飛びこんてしまう自分が。そのときはあまり深く考えていなかったのもありますし、自分が好きなようにできるんじゃないかと思っていた。とにかく勢い任せでした」

2012年、35歳で「エルマーズグリーン」のスタッフに合流することになった青野さん。焙煎の知識を持たないまま焙煎機を与えられるも、焙煎士としては知識も技術もほぼゼロの状態。焼くための豆もなく、これから生豆を自分で探さなければならないなど、いきなり窮地に立たされることに。そのとき藁にもすがる思いで訪れたのが「WEEKENDERS COFFEE」だった。

「『Probatone 5(プロバトーン 5)』という同じ窯を使っていたこともあって、これは直談判せねばと思って。客としては幾度も訪れていたお店ですが、そのときは緊張しましたね。そこで『大阪で焙煎することになりました』と、初めてちゃんと挨拶をさせてもらい、代表の金子将浩さんともはじめて名刺交換をさせていただきました。『WEEKENDERS COFFEE』には海外の豆もたくさん集まってきてたし、焙煎のことや生豆のことなど、本当に色いろと勉強させてもらいました」

生豆と真摯に向き合い試行錯誤する。
豆との駆け引きこそが、焙煎士のおもしろさ

「エルマーズグリーン」では、もともと京都のクラシックな焙煎所の豆を仕入れていたが、自家焙煎に切り替わるとなったとき、青野氏が浅煎りを、もうひとりの焙煎士が深煎りを担当することに。その頃には青野氏もスペシャルティコーヒーに対する興味も芽生えており、オーナーに相談して役割分担をさせてもらっていたのだそう。

焙煎を行う青野氏

「店のある大阪という土地柄や、もともと深煎りの豆を扱っていたことなどから、仕事の8割は深煎りで、僕が担当する浅煎りの仕事は2割程度。焙煎士としても駆け出しで何が正しいのかも分からず、本当に試行錯誤の日々を過ごしてきました。当時はスペシャルティの浅煎りと言われても、周りのスタッフもまだあまり分かっていない状態。そんな状況で、ときには他のスタッフと言い争いになってしまうこともありました。僕は『もっと一緒に学んでいこう』と思っても、そこに温度差が生じてしまっていた。近い将来、スペシャルティコーヒーのような味わいのコーヒーが評価されることを確信していたし、実際に東京ではそのときすでにスペシャルティコーヒーのムーブメントがはじまっていました。関西で認知されはじめるのも時間の問題だなと思っていたので『もっとノッてきてよ!』と思っていたのに、全然ノッてきてくれないみたいな(笑)。そんなふうにチーム間のギャップにはしばらく悩まされていましたね」

「浅煎りのスペシャルティーコーヒーはくる!」そう確信していたことから、焙煎士として働くかたわら、並行して社長に「浅煎りだけの店をつくりましょう」と提案しつづけていた青野さん。浅煎りならではのライトで素材重視の味わいを知ってもらうためのショップが必要だという熱意はいずれ社長にも伝わり、「ここでやってみたら」と背中を押されつつ、「エンバンクメントコーヒー」をオープンすることに。

「『エンバンクメントコーヒー』では本当に自由にやらせてもらっていましたね。そんなとき、オープンして1年目くらいで出場したJapan Roaster Competitionという大会で2位になったんですね。2位になったことでチーム内の雰囲気が変わったというか『青野がやってたことって正しかったんだ』と、やっと気付いてもらえた感じでした。その一件からスタッフのみんなもついてきてくれるようになって、チームとして動き出せた気がします」


そこから焙煎士として、これまで以上に突っ走ってきた青野氏。若手からも信頼されるようになり、ときには焙煎士として一人前になるには? という質問を受けることもあるそうだが、そんなときは次のように答えているという。

「初めてから5〜6年は、24時間365日、マジでコーヒーのことを考えていたよって教えてあげています。大袈裟でもなんでもなくて、僕自身ずっとコーヒーのこと考えて、コーヒーの話ばっかりしてきましたから。今でも全然分からなくなることだってありますけどね」

そんな青野氏に焙煎士という仕事の魅力についても聞いてみたところ、次のような答えが返って来た。

「グリーンビーンズのコンペティションで勝つような生豆ってパワーがあるし、誰が飲んでも『おっ?』ってなると思う。そういう豆の魅力を引き出すのに、僕はそこまで焙煎技術はいらないと思っています。どう焼いても美味しいから。でも、そうじゃないギリギリのラインに旨さが潜んでいるような豆って、焙煎士によって出来上がりが全然ちがうんですよね。そこがおもしろいポイントだと思う。なんというか『見つけた!』と思う瞬間というか、自分が見つけた魅力をどう引き出してあげるかを試行錯誤する時間というか。何もせずにその魅力が表に出る豆もいるし、試行錯誤しないと出てこない豆もいる。ただ、出てこなかったときの考えさせられる感じこそが、焙煎のおもしろさなのかも。魅力は絶対にある、でもどうやったら表に出せるんだろう。そんな豆との駆け引きこそが、焙煎士のおもしろさだと思う」

まずはお店のファンを作ることが重要。
本当の意味での“いいコーヒー”とは

「エンバンクメントコーヒー」で働いて3年になる時期、次に自分の後を継いでくれそうな子たちも出てきたし、年齢も年齢だしと、45歳を目前に控えた青野氏は、お店に在籍しつつ水面下で店舗を探しはじめる。独立に向けて社長やチームメイトたちにも「いい物件が見つかったら辞めようと思います」と、自らの気持ちだけは伝えていたという。

「紆余曲折あって、コロナ禍の2020年7月に『aoma coffee』のオープンに踏み切りました。はじめは想定していたお客さんではない人たちでお店が賑わってしまったりと、いろいろと不本意なこともありましたが、コーヒー業界やコミュニティを通じて『〇〇さんから聞いて来ました』と、徐々に全国から人が訪ねて来てくれるようになりました。ライバルなんだけどみんなで盛り上げようとしてくれるというか、コーヒー業界のそういうところって、いまでもすごくいいなと思います」

スロースタートながら徐々に理想的な顧客も掴めて来た最中、エアロプレスのローストコンペに出場した青野氏は、そこで見事優勝を果たす。これを機に、店はますます軌道に乗りはじめていったという。

「『JAPAN AEROPRESS CHAMPIONSHIP 2021 ローストコンペティション』での優勝は、タイトルの獲得はもちろん、何よりコンペを通じて日本全国の人たちに店の名を知ってもらえたのが大きかった」

焙煎を行う青野氏現在では全国からコーヒーファンが訪れる人気店となった「aoma coffee」。あらためてお店について聞いたところ、青野氏は次のように答えてくれた。

「うちでは日常的に『なんかいいな』と思える美味しいコーヒーを、できる限りリーズナブルに提供することを目指しています。スペシャルな豆もたまに置いたりしますけど、主要な部分は生産者さんが作った何気ない豆というか“じゅわっとくるコーヒー”を選んで置いていますね。デイリーに飲めるオリジンとか品種とかによって味わいが明確に違うものを扱いつつも、いずれはお客さんに『これってアオマ コーヒーっぽいね』と言ってもらえるようになれたらと思ってるんですよね」

「自分たちの味を、それを表現する言葉も含めてブランディングしていくことが、これから残っていくコーヒー屋さんの条件なんだと思う」と、続ける青野さん。焙煎士という仕事についても聞いたところ、どうしてもコーヒー豆だけを見て焙煎をしている若い子たちも多いから「そうじゃないよ」というのを知ってもらいたい、とも。

「前職ではコーヒーの魅力をバリスタに対してだけ伝えていたと思う。でも、自分の店をオープンしてからはその魅力をお客さんに対して伝えるようになりました。もちろん情報を押し付けるようなことはしたくないので、日々のコミュニケーションを通じてまずは『aoma coffee』そのものに目を向けてもらいたいと考えています。ここの店が扱うコーヒーは間違いないと思ってもらえたら、徐々にファンも増やしていくと思います。そこからはじめて、産地だったり作っている人だったり、コーヒーの背景にあるストーリーをしっかりと伝えていく。前職では知って欲しい気持ちが前に出過ぎて、お客さんに産地や作り手の環境など、コーヒーを楽しむため以外の事がらばかりを伝えていた。でもそこが第一じゃないんですよね。『なんでコレとコレは味わいが違うのかな?』という興味が自然派性的に湧いて、徐々にコーヒーの裏側にある事情やストーリーを知っていく。要するに、押し付けがましくなってしまわないようにしたいですね」

そもそもコーヒーは楽しい、美味しいと思ってもらうこと、そしてコーヒーを生活に浸透させてもらうことが大事だと続ける青野氏。最後に「aoma coffee」としての展望をうかがった。

「いずれはこことは別に焙煎所を作りたいと考えています。もう少し焙煎に特化した施設の拡充と、豆売りをしたいんですよね。週に一回コーヒー豆を買いに行く、近所の珈琲豆屋さんのようなお店を。というのも、僕のコーヒーは家で飲んでもらいたいんです。焙煎士になってからずっと思っていることで、『家で簡単に美味しいコーヒーが飲める豆を焙煎すること』が僕の目標です。この人が淹れてくれるから美味しいというバリスタの存在も非常に重要ですが、ロースター目線で言うと、何も考えずに家で挽いて簡単に淹れられることもまた、美味しいコーヒーの条件だと思っていて。だから、あまり抽出に神経質になりすぎるようなコーヒーは作りたくない。そこを深煎りに逃げずに、浅煎りの枠のなかで表現できたらなと思っています。スペシャルティコーヒーとかよくわかっていない近所のおっちゃんとか、おばちゃんにも飲んでもらいたいんです。いいコーヒーって、わかっている人だけが飲むものではないと思っているので。もっと色んな人に飲んでもらわなくちゃ」


【プロフィール】

青野啓資/HIROSHI AONO
aoma coffee

aoma coffee(アオマコーヒー)青野啓資氏

1977年生まれ、大阪府出身。美味しいコーヒーを通じて飲む人の情緒を動かし、それをコーヒーの未来に繋げることを使命に掲げ活動するロースター。作り手(生産者)から引き継いだ豆の豊かな個性を、焙煎という工程で「足さず」「殺さず」「見つけて」「活かして」「整える」、そしてそれを飲む人たちと分かち合う。難しい説明が無くても、飲めば身体にじゅわっと染み込んでいくようなコーヒーを提供している。


【スタッフクレジット】
TEXT/NORITATSU NAKAZAWA